相談をするときの前提。

相談をするときの前提。

お金を払って相談する。
身近な信用信頼できる人に相談する。
ラジオやSNSなどを使って匿名で相談をする。

相談をするカタチは様々ありますが、いずれも前提として心がまえがひとつ決まってあります。
それは、

「自分そのものから目を背けないこと。」

ここが後々と大切なことになります。
その相談の中で、ボヤきも愚痴もあっていいでしょう。
もらったアドバイスをすぐに飲み込めなかったり、実行に移せなかったとしても、
決定的にやらなくてはならないのは、自分から目をそらさないことです。

どんなに自分の中にある不安や恐怖、様々な不穏のタネを持っていても、
そこから逃げ出そうとしたとしても、
自分の在り様のすべてがそこを本当の意味で理解して、なおかつ、
現状との認知と認識にズレがないようにしていなければモノコトは解決しません。
むしろ、それを続ける限り状況は悪化するか、同じことを繰り返した嫌なことが起こります。

時には逃げることも必要です。
ですが、これも多くの人が間違えた解釈をしています。
逃げる、という選択をすることは、本気の逃げる、なのです。
明らかに逃げる必要がある現実現状があるから、逃げる、なのです。
自分が向き合わなくてはならない、ズルさや向き合うことの誤魔化しや恐怖からの逃げるではないのです。

相談のフリをした被害者面だけはしてはならないのです。
若い時からこの逃げ癖を付けた人というのは、どこまでもどこまでも、同じことを繰り返します。
いくつになっても繰り返します。
若いうちは、周囲や親兄弟が、しょうがないなぁで助けてくれることもあるでしょう。
けれども、年を重ね自分自身が一般的に、いい大人と言われるに頃には、
ただの面倒くさい人、イタイ人、頭おかしい人、信用信頼できない人、になります。
そうなれば、当然のように自分への不満が世間の不満となり、
どこまでもずっと世の中の理不尽の渦の中にいる存在になるのです。

私たちの生きる世界には必ず理不尽が存在します。
どんなに変えようとしても、変わらないモノがあります。
ですが、変わらずのモノと共存するためにも、現実から目をそらすことなく、
自分自身から目をそらさず、できることを懸命にやるだけです。

そして、たまぁ~にですが、逸らしてもいいのです。
現実から目をそらせるように休日、休養を楽しみましょう。
推し活や趣味、おいしいものをたっぷり食べる、浴びる、寝まくる、などの気分転換で、
足りなくなった生命力をチャージをして、また変わらずのモノと共存しながら生きていくのです。

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